Bookcover
「DeLoreans文庫本カバー」発売記念
オススメ文庫本(Vol.2)
DeLoreansの文庫本カバーを4月19日に発売したところ、おかげさまで初回入荷分は全色完売しました。発売を記念して「オススメ文庫本Vol.1」を紹介しておりましたが、せっかくなので「Vol.2」もアップしておきます。興味があれば届いた文庫カバーとご一緒にお楽しみください(穴澤)。
「カラスの教科書」
(講談社文庫) 2016/3/15
松原 始
カラスはわりと人間の近くで暮らしている。スズメやハトもそうだが、カラスは体も大きくなんとなく「ずる賢い」というイメージも定着しているので余計目立つような気もする。実際にニュースなどでも「カラスは害だ」なんて報道することも多い。しかしカラスの生態についてちゃんと知っている人は、ほとんどいないのではないだろうか。
実は昔から、個人的にカラスに悪い印象はなかった。ゴミを漁っているのを見たりすると「あれまぁ、散らかしちゃって」と思ったが、むしろあのゴミの山から食べられそうなものを探せる能力の方が凄いと感じていた。その後、ゴミの出し方も厳重になって、カラスが簡単に漁れなくなったりした。それでも、カラスが激減したような印象はない。
今は腰越で暮らしているが、カラスは砂浜にも普通にいたりする。犬の散歩のときなどに、いつも彼らの姿を見ていて「どんな暮らしをしているんだろう」と思ってこの本を読んだのだのがきっかけだが、結構驚いた。まず、大きく「ハシボソカラス」と「ハシブトガラス」の2種類がいて、それぞれの性格や生活様式も違うらしい。
さらに「つがい」になると狭い縄張りを持ってつつましく暮らすのだが、その前には結構長い独身時代があり、その頃は若い仲間で集団行動し、縄張りもなければ寝る場所も決まっていない(だから全体の個体数を把握するのが非常に難しい)。あと、食材の中でもマヨネーズとかやたらカロリーの高いものを好むことなど、いちいち「えぇ、そうなの!?」ということばかりだった。
さらに興味深いことに、トンビなどの猛禽類と1対1で戦うと勝ち目はないが、そういう相手は集団で追い払うことなども、カラスの習性(?)だと知った。腰越あたりにはトンビも多くいるので注意して見ていると、カラスが集団で威嚇したりしている。飛行能力などはトンビの方が数段上なのだが、負けていないのだ。ただ、本当に争ったりはしていない。同じ地域で共存する道を探しているように見える。
そういえば、以前都内のマンションで暮らしているときにベランダから物音がするので覗いてみると、1羽のカラスが針金のハンガーを物色していた。目が合ってお互い固まったのだが、一拍置いてカラスが「これ、もらって行くね!」とハンガーをひとつくわえて飛んでいったことがある。きっと木の上に巣を作るのに作るんだろう。そういうところが、どうも人っぽく感じる。
そもそも「カラスは害だ」というが、「そうか?」と思う。彼らは今ある環境に適応して生きてるだけではないか。人間を攻撃したりはしないし(雛がいる場合は威嚇することもある)、常に一定の距離を保ちつつ、変に媚びてくることもない。ちなみにカラスは街の中で暮らしている連中が注目されているが、山の中で暮らしている個体もいる(本来はそっちが主流)。
そういうことを、動物科学行動学者の松原さんが、長年に渡り熱心に「観察」してまとめているのだ。カラスについて、あまりいい印象を持ってない人はぜひこの本を読んで見るといい。きっと、あの黒くてつぶらな瞳が愛おしく見えるようになるはずだから。
(※これが面白かったら「カラスの補修授業」という続編もあります)
「死神の浮力」
(文春文庫) 2016/7/8
伊坂 幸太郎
この本は、短編集「死神の精度」の後の待望の長編だ。伊坂幸太郎といえばこれまで「グラスホッパー」や「マリアビートル」、「ゴールデンスランバー」などたくさんの作品を読んできたが、超人気作家なのは間違いない。だいたいどれも良くできていて、エンターテイメント性に富んでいる。が、この死神系はちょっとイメージが違う印象だった。
不慮の事故など、「死ぬかもしれない運命」の人のそばに人間に扮した死神がやって来て、一週間ほど視察して判定を下すという内容だ。しかしここで登場するのは「死への案内人」のような一般的な死神ではなく、本部からの指示によって派遣されたエージェントのような存在だ。
本部から手にした情報を元に、目的の人部に接触し、「可(運命通り)」もしくは「見送り(先延ばし)」という報告をあげる。死神には同情などの感情はないため、ほとんどのケースで「可」となるが、派遣された仕事をきちんとこなそうという感覚はある。その中に人間の事情とのすれ違いがあったりして、そのあたりが淡々としていて面白く感じる。
その他、死神は人間社会にはほぼ興味はないのだが、音楽だけは(死神は「ミュージック」と呼ぶ)は好きでジャンルに関わらず、暇さえ見つけては音楽を聴きたがる。そんなことをしながらも、一週間ほど死神は人間の観察を続ける。そこには冷酷さも、暖かさも感じないのだが、立場としてはよく分かるスタンスだったりする。
内容を少し書くと、この長編では我が子を殺された夫婦が、犯人に復讐を計画している。そこへ死神が現れるのだが、人間視点と死神視点がどちらも入り混じりながら物語が進んで行くので、お互いにどんな考えで行動しているのか、その事実が本人たちにとってどうなのかというのが随時分かるようになっている。
短編集は、実験的な要素が多いが、長編はかなり読み応えがあるので特にオススメだ。最終的に死神の前に殺人犯が現れたりするのだが、その対比や展開なども、読んでいるとハラハラさせられたりする。死神の出てくる話ではあるのだが、救いのある小説ではあると思う。
「ハラスのいた日々」
(文春文庫) 1990/4/1
中野 孝次
この本を読んだのはいつ頃だっただろうか。たぶん、「富士丸(ふじまる)」と暮らしていたときではないかと思う。子どもの頃から犬と暮らしてきたが、大人になると全然違うことに驚いていた時期だ。昔は犬も自分も「家」にとっては「子ども」だったが、大人になると散歩だってご飯だって、居住空間だってすべて自分に全責任があるし、犬はある意味「子ども」でもあり「家族」でもあると気がついたからではないだろうか。
彼が何を言いたいのか、目や態度で分かるようになっていたし、彼も私が何を望んでいるか分かってくれるようになっていた。一緒に寝て、起きて、食べて、散歩に行って、また寝て、という暮らしだった。そんな頃にこの本を読んだような気がする。
本の中では、ある日家族に迎えられたハラス(柴犬)が登場する。冒頭で著者はこう言う。「(前略)犬なんてみな同じようなものだと、前は思っていたが、あとになってみればその犬以外の犬ではだめだという、かけ替えのない犬になっているのだから」。これは多くの人にとって同じ感覚ではないかと思う。
ハラスの方も同じ感覚だったらしく、帰りを健気に待ったり、いつも嬉しそうにそばにいたり、飼い主のことが好きでたまらかなったようだ。そういう話を読んでいるだけで、ほっこりしたことを覚えている。また、旅行先で行方不明になったり、他所の犬に怪我を負わされたり、ドキドキすることも多い。そして、ちょくちょく写真が差し込んであるのだが、カメラマンが撮影したものではなく、家族が何気なく撮影したもので、犬との普段の雰囲気が伝わってくる。
本書は犬と暮らしたことがなかった著者が47歳でハラスを迎え、13年一緒に暮らした日々が綴られている。ひとつひとつのエピソードに「そうだよねぇ」と思うことばかりだ。最後にはハラスは亡くなってしまうのだが、富士丸を撫でながら当分そんなことは起きて欲しくないと思っていたものだ。
富士丸も、彼でないといけないと思って一緒に暮らしていた。しかし、彼はもういない。悲しく辛い日々が続いたが、一緒に暮らすのではなかったと思ったことは一度もない。それからしばらく経つが、ひょんなことから今では大吉と福助という犬たちがそばにいて、やはり彼らでなければいけないと思っている。
代表取締役 穴澤賢
profile
1971年大阪生まれ。犬と猫と音楽と酒を愛するフリーライター。
2005年にはじめた「富士丸な日々」というブログが話題となり、
翌年同タイトルの本を出版。以後、エッセイやコラムを執筆する
ようになる。著書に「またね、富士丸。(集英社文庫)」
「明日もいっしょにおきようね(草思社)」
「Another Side of Music(ワーナー・ミュージック・ジャパン)」
「また、犬と暮らして(世界文化社)」などがある。
2015年11月に自ら犬と長年暮らした経験をいかしたもとに
商品を開発、販売するブランド「デロリアンズ」を立ち上げる。